南三陸町志津川マイタウン誌「千葉総合印刷」 南三陸町マイタウン情報「志津川広報センター」

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まちづくり協議会情報

入谷地区民の議会への活発意見続々!

 11月4日から3班に別れ3日間9カ所の「議会と町民の懇談会」が開催され、最終日の8日午後7時からの入谷公民館の懇談会に参加した。14名の地区民が参加し、震災後に入谷地区に自宅を建てた志津川地区の方もおり、参加者全員が議員に次々と質問と要望をぶつけた。初めに「南三陸町の人口」「町議会議員1人につき住民人数は何人なのか」の質問が出た。地元紙の報道だと約12500人で、それは登米市で今も暮らす人数が入っていないと言う。住民基本台帳の国勢調査によるものと報告された( 町の広報誌では10月末で13571人)。法令では1〜2万人で上限は議員数「22人」までと、法令で決まっていると言う。議会全体としての意見しか述べられなく、個人的意見は発表できないと委員長は話した。
 その他にも、「入谷小学校の仮設の解体」について、子供達に早く広いグランドを戻して欲しい。小学校周辺の避難道としては道幅が狭く、「拡幅工事を早く!」があった。入谷横断1号線の整備がなかなか進まないとの話に及んだ。「ひころの里」の道路については、旧カーブと道幅が狭く、大型バスなどは一回で回せなく、観光の町づくりを図るうえでも入谷地区の道路整備の必要性を訴えた。また、南三陸病院の診察時間についても、混んでいて8時間もかかる時があり、お年寄りは「待つのが辛い」と家族に話すと言う。
 多くの町への要望が出され、「町議会に持ち帰り今後検討する」と議員団は地区民に伝えた。

南三陸町の防集と復興住宅の今

志津川市街地の低地部のショッピングモール(観光交流拠点、隈研吾氏設計)も一歩ずつ前に進みはじめ、来年3月の「町開き」に急ピッチで建設が進む。
 歌津地区の伊里前商店街の起工式が先月の中に開催され、新しい商店街と県漁協歌津支所が整備され、予定では5m の嵩上げの上に志津川地区から1ヵ月遅れで、オープンに向かう。国道45号のルートが変更され、歌津伊里前市街地は大きく変貌する事となる。


 志津川地区は、戸倉団地の防集・復興住宅の整備も終了した。東地区の西・北工区が電気・側溝などの外溝工事を残すこととなり、「年度内には住宅建設を始める」と土地希望の住民は話す。東の西工区の集合住宅の入居も始まり、運送業者が多く出入りしている。長屋式の戸建ても外観が完成し、入居者は「保証人と保証人所得証明」の確保に奔走していた。西地区の西工区は、だいたい引き渡しを終え、東工区の防集の土地の半分は、今年中に土地が引き渡されると知人は話していた。西地区の復興住宅も「入居を終えました」と、地区内の住民の声が聴こえてきている。中央区は、土地造成ミスが発覚したが、8月頃にも改修工事も済ませ、住宅建設が再スタートされた。残った中央区Cブロックの新井田遺跡も、残るは山の半分となり、今年度中の引き渡しを目指し、大型トラックが造成地の土砂を運んでいる。中央区の復興住宅も、年度内の移転と町民は言う。一日も早く住民の安住の地が確保される事を願うばかりだ。
 被災者が住んだ仮設住宅も5年を越え、住宅再建や災害復興住宅の入居へと進んでいる。今後の志津川・歌津地区の仮設住宅の解体への段階に入る。登米市を含め58ヵ所2154戸が建設され、5年4ヵ月の7月末で約半分が退去した。入居者は1119戸まで減った。17団地89世帯は今年度中に集約され、このうち平磯1期・細浦・入谷小・韮の浜1期・馬場の5団地は、入居者がおらず9月の解体の予定だ。集約先は、志津川小・志津川中・沼田1・2期・平成の森・吉野沢・戸倉中跡地の計8団地で、集約の方針となっている。
 歌津地区の平成の森はピーク時に、182世帯570人が入居していたが、昨年度までに災害復興住宅が完成し、土地の引き渡しも終わり、約6割の住人が退去し、残りの73世帯228人も住宅再建を待つばかりとなった。平成の森自治会も来年3月で解散する方針だ。
 志津川地区は、東・中央・西を除き、防集や災害公営住宅の整備は完了した。
 南三陸町では団地が完成せず等、特別な事情がある165戸については仮設入居期限を1年延長としている。一方で再建資金が確保できないなどの経済的理由の「未定」とする40戸については、特定延長の対象から外した。対象外の被災者には、1年以内に方針を決めてもらうため、町は住宅再建・復興住宅への意向を決めてもらえるよう、各種助成制度などを紹介し、最後の1 人まで支援をすると話す。
 9月に入り仮設住宅の撤去が開始され、9月26日現在51団地に862世帯(2464人)が入居しているが年度内に13団地で撤去に着手する。

追悼・継承・感謝そして未来を想像する恊働の場

東日本大震災およびこれまでの自然災害による犠牲者を悼み(追悼)、震災の記憶と教訓を風化させることなく次世代に受け継ぎ(継承)、大自然への畏敬とともにその豊かな恵みを讃え(感謝)、復興をなしとげた町の未来の姿を人々とともに想い描く(想像)、そのための場を人々の恊働によって創りつづける。


「南三陸町震災復興祈念公園」の整備に関する住民説明会

10月5日(水)役場2階大会議室

 祈念公園の設計にあたられた、奈良大学の宮城先生と計画的にかかわった吉田氏・小林氏も同席し、第2回目の計画案の説明が、住民30名余りが集まり開催された。
 昨年の12月の1回目の説明会があり、「多くの皆様の意見をいただき、設計改善をした」と再提案された部分と共に、住民に理解しやすい動画映像と一緒に、宮城教授が、詳しく1時間余り説明をした。
 震災から20年間の県有化となり、遺族の皆様の感情に配慮し、海に向かって手を合わせる「祈りの丘」から、「海の軸」を神割崎方向にした。未来に向けて祈りを「震災を伝承」するとし、築山までの坂を地震発生から津波襲来の「記憶の道」とした。
 築山までは車イスも通れるようにスロープとし、100m で5m の勾配で、2人がゆったり歩けるように最大で2m の道幅の整備とする。祈念公園からの緊急時の避難場所は基本的には志津川高校とした。
 記憶の広場にはメモリアル(レリーフ)を設置し、直径5m で、昔の街の1.5㎢を400 分の1にして掘り込み刻む。
 名簿安置のモニュメントは、築山頂上に建設され、紙に書いた名簿を桐の箱に入れ、モニュメントの中にカギを掛け納める。
 祈念公園は宮城教授と設計会社とUR 都市再生機構により設計整備され、防災庁舎は20年間の県所有にともない、2031年までは残る。祈念公園は慰霊よりも、祈念する事を目的とする。町民と町外から来られた皆さんと共に、森を整備する。
 防災庁舎と基礎部分を震災遺構とし、川に向かい2ヵ所の献花台を施ける。2031年の県有化が終り、庁舎解体がされた場合の風景も絵画として示された。
「未来の森」はアプローチの森として、さくらを植え町が整備するが、町民参加の持続的な森づくりを目指す。こうした活動により未来の森への愛着を持ってもらうため、木にネームプレートを付け、自分の木を育ててもらう事とした。
 築山の「祈りの丘」にも、斜面の下にはススキのような植物を植え、上部は芝生を配置する。50分の説明の後で、集まった町民からの質問の時間とした。

志津川地区の防集宅地(中央区)に於いて施工不良があり、町長が議会で陳謝

 南三陸町志津川の高台整備の「中央区」では、6月に土地の土盛りの整地で問題が発生し、7月に入り擁壁の工事にあたり、基礎工事の不良があり、共に7末までに工事のやり直しをすると、復興工事の町からの委託業者「UR 都市機構」が、説明会で約束した。

これまでの中央区の新聞・テレビ報道から

 整備施工不良があったのは、中央区A ブロックで、擁壁の背面部にヒビがあり、1ヵ所は約18m3宅地だった。A ブロックの46区画中27区画で、4宅地以外には見当たらなかった。今後17 宅地全てを再施工し、6月中に完了する。この団地は26年1月に、南三陸町震災復興共同企業体(飛島・大豊・三井共同コンサルタント)に、業務委託されたUR(都市再生機構)が発注した。そして今年3月に町がUR から引き渡され施工不良が見つかった。
 原因としては、地盤と擁壁の埋戻しの土砂が、規定だと4cm 〜 10cm だったものが、50cmのものが入っていた。大きい石の隙間に砂が落ちヒビにつながった。
 この問題に対し、14日開会した6月定例会で議員が質問し、町は買い取りの人には2年の瑕疵(かし)担保があり、ケースバイケースで対応する。町長は業者に抗議し、影響を最小限にとどめると語った。

 また施工ミス発覚!

 志津川地区の中央団地は135区画で、新たに24区画の施工不良が見つかった。Aブロック1区画と、Bブロックの23区画で、基礎コンクリート(厚さ10cm)の位置が計画と違っていた。今後はこれまでの擁壁のある50区画を全て再施工することにした。
 4月引き渡しのA ブロックにも施工ミスがあり、Bブロックの37 区画の堀り起こし調査で再度発覚した。Bブロックの7月1日の引き渡しから、コンクリートの打ち直しにより、再施工に最大で1ヵ月かかり、引き渡しが遅れる。
 町はAブロックで既に建設が始まっており、区画住民とは個々に対応をしていくと話す。これから東側のCブロックで52区画の造成が始
まるにあたり、検査や監視を強めていく方針を示した。

中央区の施工不良に住民説明会 遅延の費用発生に補償

 UR(独立法人都市再生機構)から工事を請け負った、JVの擁壁土台のコンクリートの幅が設計どおりになっていないなど、造成の施工問題が起った。
 6月26日の住民説明会には46 世帯の住民が集まり、住民に対してJV の飛島建設本部長が納期まで安心・安全を届けると謝罪した。
 B ブロックに対しては7月までを予定し、Aブロックは再施工前後に家屋基礎や外壁については個別に対応する。
 住民からは将来についての補償、8月はお盆の月なので工事はできない、1日も早く、などの声が聞かれた。 

中央区の問題発生から、9月末までの経過と団地の変化

 志津川小学校の旧新井田の中央区を一望できる高台から、現在の住宅再建の現状を見に行った。土地整備のやり直しから、2か月余
りの間に、新築の住宅の多さに驚かされた。被災住民は「土地さえあれば!、直ぐに住宅を建てたい」と言う。そして志津川地区から
散らばり、仮設・みなし仮設の生活から、住宅の再建・復興住宅と、これまでの町民の人たちの苦悩の話に耳を傾ける。「年内中には、年度内中には移転します」と、嬉しい言葉も聞く。
 震災前は3か月で家など建つ事は無かったが、今は急げば大きさにも関係があるが、2か月半で住宅完成、そして引っ越しから「新生活」へと、そのスピードは速い。
 震災から行政が土地の整備を、2年前後で土地の整備ができる場所を選択すれば、こんなにも人口の減少は無かった気がする。


志津川地区の東・中央・西地区の住宅再建加速

議会と住民の懇談会(27 年11 月)

〔傍聴記1〕

 町民の付託に応える南三陸町議会を作り上げるために、町民と議会が一体となった議会の改革や活性化を進める為に、「議会と住民との懇談会」を開催した。
 昨年11 月10 日午後6 時30 分から、志津川中学校仮設集会所で開催の会場で傍聴をした。南三陸町議会は、3 つの班ごとに別れ5 人体制で、南方仮設から町内の計9 カ所で懇談会を実施した。訪れた志津川中学校仮設集会所には、約25 名の町民が議員団の説明の後で、活発な質疑応答がおこなわれた。
 現時点での南三陸町の復興状況が報告された。大型団地の完成予定は、伊里前・戸倉が28 年4 月、志東は28 年8 月、志中央が29 年4 月、志西が28 年10 月を予定していた。人口の推移として、平成22 年2 月( 震災前) の「17666 人」から、27 年8 月で「13952 人」と示され、3714 人の減少となった。その他、災害公営住宅の現状や、農業・漁業の復旧の進捗など、町の再建の細部に渡り報告があった。
( 住民からの質問)
・息子が町に帰りたいが、住む場所はないのか。
・病院はどうなっているのか。
・中央区の整備が遅れているが、遺跡のためなのか。


〔 傍聴記2〕

 町民の付託に応える南三陸町議会を作り上げるために、町民と議会が一体となった議会の改革や活性化を進める為に、「議会と住民との懇談会」を開催した。

・商店街・河川・堤防の整備より、住民の土地整    備を先行できないのか。
・中学校の仮設は今後どうなるのか。
・登米市の災害公営住宅は完成している。南三陸 町でもスピードを上げて欲しい。
・大手の企業誘致は進んでいるのか。
・南三陸町に希望の合った仕事がない。
・新築した住宅への生活・入浴時の「手すり」な どの設置は補助はあるのか。
・体が不自由なので生活ができない。
・原発の再稼働を議員の方はどう考えているのか。
・南三陸町の人口を減少させないで欲しい。
・新井田川には橋が一本しかなく、旧本浜市場の 作業所や、カキ剥き場に行くのに不便だ。
数々の質問に議員団は、住民に親切・丁寧に答えていた。しかし、個人的な考えでなく議会としての答弁とした。

議会と住民の懇談会が町内の9ヶ所で、7・9・10日と開催された。歌津吉野沢仮設でも16人の住民から、多くの要望・意見が相次いだ。「すでに仮設から退去でエアコンを持って出ている。集約としての吉野沢は、エアコンは今後持っては行けないと町当局から言われている。」との質問に、議会側からは「状況を確認し、町としての統一見解を出してもらうようお願いする」、と述べられた。

「伊里前商店街」今年12月に土地造成完了

 伊里前の商店街が市街地の嵩上げに伴い、小学校下から200m国道45号の向かいの盛り土した場所へ移転となった。向かいの伊里前川の水門の撤去も始まり、南三陸町内の水門は全てが撤去される。伊里前市街地のかさ上げ事業に伴い、歌津バイパスの残った部分も整備が進む。
昨年12月の初め、歌津市街地の現風景を撮影した。商店に飾られたサッカーJ1の全チームのフラッグが撤去され、移転の準備が進んでいた。これで伊里前市街地の復興整備が本格的に始まる。

〔歌津地区の伊里前商店街の再建本格化へ〕
 「歌津地区の伊里前商店街地かさ上げを年度内着工へ、南三陸町は予算の措置をした。」、こんな記事が気仙沼・本吉地区の三陸沿岸に配布されている、地元紙に掲載されていた。
 伊里前商店街の整備は、都市計画地域外として国の復興交付金の対象外で予算のメドが立たなかった。その為にかさ上げなどの復興が遅れていた。
 町は復興庁との協議の中で、事業費の一部を町が負担する事で、今年1月に「効果促進事業」として交付金の一部が認められた。町はかさ上げ工事請負費として今年度補正予算に2億8千万円を計上し、議決後に現在の仮設商店街を向かいの造成地へと、一時的に移転させ営業を続ける。

 伊里前市街地の整備エリアは、「伊里前福幸商店街」のあった場所と向かいにかさ上げされた町有地1.4haで、県漁協歌津支所の用地3500㎡と、商業用地として2千㎡で、現在の地盤高2mの上に5mを盛土かさ上げする。その他にイベント広場や駐車場、郵便局や金融機関の誘致を図る為、公的施設スペースを整備する。
敷地北側に区画道路も配置する予定で、商店施設には8店舗が入居予定で、早ければ28年度内に旧市街地より5.5mのかさ上げ完了を目指し、平成29年の3月の志津川商店街と同時期の「町開き」を予定している。

 これまでの報道だと、志津川市街地の商店街の開業は29年3月を予定している。そんな中で歌津伊里前商店街のかさ上げ整備事業が見えなかった。そして今回、町から整備事業費の一部支出により、伊里前の商店街整備が前進する事となった。
 歌津地区の伊里前商店街が移転しても、継続して地区の再建と商店街の魅力をアピールし、南三陸町の志津川と歌津の商店街が、互いに独自の特色で競い合う事で、町の活性化となる。リピーターの観光客確保と繋げて欲しい。歌津地区へボランティアの定住も多く、町と地区の交流人口拡大へと繋がっている。2017年の夏ごろに志津川地区に開業を予定するスーパーに、負けるとも劣らない商店街づくりが、南三陸町の二つの商店街に求められる。

〔仮設商店街7日再オープン〕
 2月7日(日)10時から、仮設商店街が場所を移し再オープンした。テレビではテープカットに町長も参加しオープンを祝い、来年3月の整備まで営業を続ける。敷地は810㎡で食品スーパーや酒店、衣料品店・理容店・電気店等10店舗が入っている。
 オープニングセレモニーでは、太鼓の演技や地元鍋が来場者に無料で振る舞われた。高台の敷地は狭いながらも、多くの来場者で当日は賑わい、周辺の敷地を臨時の駐車場として、誘導員が国道の安全確保に大わらわだった。2時を過ぎても買い物客が商店までの坂を上り、人が絶えなかった。
(歌津の移転となった仮設商店街までは、志津川商工団地信号から10分で入り口の看板のある所まで行ける。)

震災復興祈念公園

住民説明会

 交流文化ホールには住民が約40人集まり、公園整備の概要が復興市街地整備課から説明があり、引き続き設計を依頼された奈良女子大学の宮城俊作教授が公園整備のコンセプトと具体的な整備内容について説明を行った。

 宮城教授の説明のはじめに「27年春に仕事を受けた」と話し、祈念公園は町民憲章の「大きな自然の手のひらに、いだかれる南三陸町」の一文をイメージし設計したと語った。6.1haの祈念公園のコンセプトは、犠牲者への追悼と記憶の継承と自然への感謝と住民の協動と話す。

 20㎝の「築山が根幹」で頂上からは町の風景のパノラマが見え、荒島・椿嶋が一直線となる軸と、防災庁舎と第二庁舎の基礎も、海抜1mの場所はずっと残る。春夏秋冬の木々の変化と共に長く残す物とした。

 説明会に参加した町民からの質問に、①築山への屋根付きのシェルターと避難者救出のヘリポートが欲しい ②公園からの避難所は高校なのか ③築山の坂に津波の時系列を移した方がよいのではないか ④築山に灯をともしたらどうか(被災した庁舎に津波襲来後に暖を取った火を灯したイメージで) ⑤防災庁舎の県有化20年に解体となった時は ⑥全国から寄付された木々を植えては、等6名の質問に宮城教授が答えてくれた。

志津川地区町づくり協議会「輝くみらいづくり部会」参加報告⑪

南三陸町復興祈念公園基本設計(案)の協議

2015年11月19日 / ポータルセンター

 南三陸町復興市街地整備課(設計受託:UR都市機構)から提出された資料について、第1回目の「祈念公園設計」の話し合いが持たれた。

テーブルには計画模型と計画図面が示され、UR都市機構の職員のスライド・動画での説明があり、1のテーマとコンセプト1から8の持続可能な維持管理までを真剣に協議した。初めての大規模な市街地の八幡川の西側に位置する、南三陸町の「復興祈念公園」の計画案は、総ての配置・機能・施設など内容に渡り、説明のあとで委員から質問があったが配られた資料の熱読や内容確認の為に次週開催で再度協議する事とした。
 (記念公園基本設計(案)資料から)
1. テーマとして追悼・畏敬・継承・祈念、そして未来を想像する場とした。
2. デザインコンセプト①として記憶に残る造形と空間体験、②として豊かな回遊性と多様な視点で記念公園を整備した。③に永続性と移ろいの調和として、季節や時と共に移ろう要素を取り入れ、築山斜面の色・サクラ並木・ツツジ等、復興と共に生長する鎮魂の森とした。
 復興記念公園には、震災遺構としての「防災庁舎」を中心とした「語り継ぎの広場」を整備し、追悼のテラスから「追悼の軸」、八幡川の「人道橋(旧中橋)」から追悼のテラスまではサクラ並木を通り、「記憶のみち」を整備する。記憶の広場へと進むこのエリアをメモリアルゾーンとした。
 築山の整備は災害発生時、遅れた住民・観光客の津波避難場所として整備され、700坪の土地に20mの高さで、80坪(250㎡)の避難場を頂上に造る。4ヶ所の階段とラセン状の坂の途中には、今回の津波の高さの「16m」の位置が判る様に整備をする。
 公園には「鎮魂の森」ゾーンなど、木々・芝を配置し、町民・観光客が散策できるよう回遊性をふんだんに生かした、復興のシンボルになるよう考慮し設計をした。周辺には東・西に駐車場も配置される。
 町からの提案に志津川まちづくり協議会では、委員からはUR職員に活発な質問が飛んでいた。

志津川地区観光交流拠点 整備予定地造成完了見学会

平成 27 年 10 月 24 日

 志津川地区の旧五日町の朝緑商店さんから旧南三陸商工会の跡地のエリアが、志津川低地部市街地として先立って造成が完了した。ここが町の観光交流拠点として整備がされる。見学会開催の目印のアドバルーンも上げられた。
 10 時から13 時まで造成完了にあたり式典も行われた。会場ではみはらし台から現在までの市街地の復旧復興の姿が見られ、重機の試乗や、いも煮も200 食ふるまわれた。また、設置されたテントでの、完成予定の商店街の模型や7月に公開審査された港橋の2点の優秀賞の提案模型も展示され、現場や事業の説明ブースも設けられた。
 見学会の特設会場では、南三陸町長と町づくり会社未来、嵩上げ造成と商店街建設を進めるUR 都市機構の挨拶と説明があった。
 南三陸町佐藤仁町長の挨拶では、被災した学校も戸倉小学校の再建復旧を終了し、防集事業・産業・教育施設の整備が進んでいる。町の基幹産業である「サケのふ化場」の整備を完成し、500 万匹から1千万匹の放流が可能となった。また、病院・ケアセンターの定礎、開院への日程も決定するなど、「復興の報告ができた事を嬉しく思う。」と語った。
 産業部会の議論を受け、低地部の活用に、「親水性」「回遊性」が求められた市街地づくりがあり、地域の有り方が見えてきたと語り、「未来に向けての思いを馳せていただきたい」と述べた。
 志津川市街地の再建を進める「まちづくり未来」の三浦代表は、「前向きにガンバロウとの思いでいっぱいです。」と第一声で話した。その広大な現場を見て責任を痛感するとも語った。南三陸町「さんさん商店街」は、今だに盛況を続けている。今後は32 店舗が28 年3月3日のオープン予定に向け、「未来を秘めた者たちが頑張っている。」締めくくった。
 最後にUR 都市機構の南三陸所長が、復興状況と進捗の説明があった。震災2年半後に南三陸町に来て「2年前の10 月か12 月にこの場所から土を盛った」と言う。70%の土量を完了し仮置きは63%で、高台も4割が今年度中となり、来年度には高台土地整備が490 世帯と17 棟の災害公営住宅が今年度
中に着工し、来年の中には完了し引き渡しを予定する。
 志津川地区の低地部は「観光交流拠点施設」として商工業の拠点となる。また、新井田地区には「ショッピングセンター」ができ、「しおさい通り」の整備では昔ながらの面影を再現し、海に向かっての商店街を造る計画を説明した。
 設けられた「みはらし台」には、志津川市街地の変わりゆく光景に、以前のなつかしい町並みに思いを語る町民の方々の姿があった。

防災対策庁舎「県有化」の動き(4月)

南三陸町防災対策庁舎の「保存」「解体」
そして「県有化」に対する

パブリックコメント(意見公募)

町で初めての試み実施

— 賛成意見 —

● 宮城からの南三陸防災対策庁舎の県有化に賛成します。(略) ● 御遺族の方々の気持ちを考えると複雑ですが、県有化には賛成です。 ●防災対策庁舎は保存すべきである。とりあえず今回の有識者会議の意見を踏まえ20 年間県有化し時間をかけ最終は保存とすること。 ● 宮城県の提案の1と2について南三陸町が受け入れることに賛成します(略) ● 県有化に賛成します。解体はどんな時でも、すぐに出来ると思う。(略) ● 今現在は震災が起きた事は知っていますが100 年、200 年後の事を考えると後生にのこしてほしいです。 ● 県有化に賛成です。

— 反対意見 —

● 県有化は毅然と拒むべき。(略) ● 震災後、何度も有識者皆様話合いがあったようですが、月日の流れと共に町の姿が日々変わって行きさびれた防災対策庁舎を眺めるのが悲しい想いですので、取り壊しで新しく高台に移した方がいいと思います。(略) ● 南三陸町防災対策庁舎の保存「県有化」に反対します。 ● 早く解体してほしい。

— どちらにも当てはまる意見 —

● 20 年間は県に管理していただき、その後は解体した方がいいと思います。
(掲載は町ホームページより、ランダムに1・51・101……551 の内容を抜粋)
意見公募の実施期間 
       平成27 年4月1日から5月8日
意見公募の実施結果 
   意見提出件数 664件 ①+②=100%
提出要件を満たした件数 588件 88.6%…①
     ・賛成の意見 350件 59.5%
     ・反対の意見 206件 35.0%
     ・その他の意見 32件 5.5%
提出要件を満たしていない件数 76件 11.4%…②

◎「防災庁舎県有化」の是非について

       町民意見受付開始(1日)
 南三陸町では1日発行の町広報誌と一緒に、町内・登米市の仮設・仙台などのみなし仮設の南三陸町に住所がある約4300 世帯に配布送付をした。受付は4月1日から締め切りは14 日。今月中をめどに県有化受け入れの是非を判断する。
 意見を述べる場合には、同附の意見提出用紙に住所・氏名・連絡先を記入し、返信用封筒で提出する。ファックス・メールでも受け付ける。

◎村井県知事と遺族との意見交換会(9日)

 防災庁舎で犠牲となった43 人のうち、21 人の遺族40 人が出席した。遺族からは早期解体を望む意見が多く出された一方、「時間をかけて議論すべき」との声もあり、遺族間でも賛否が分かれた。
 意見交換会は非公開で開催された。終了後に出席者は、庁舎を観光地にはしないでほしい、震災遺構になり得る場所でもあるのになぜ、などの言葉が語られた。村井知事は、あくまで鎮魂と津波の恐さを伝える場所である、と話す。町長は、観光化の思いはないと語った。
 一度は解体を表明した佐藤町長は、どちらが正しいという答えはないと言い、4月14 日までのパブリックコメント(意見公募)の内容を踏まえ、再度決断したいと話す。

震災遺構の問題点

気仙沼向洋高校の遺構保存で1千万円の毎年の赤字と想定が出された。遺構の保存整備に約7.9 億~ 9.3 億円が見込まれ、維持費で4200 万円前後が掛り、入館料として(5.1 万人想定として)大人600 円子供300 円で収益を物販と合わせると約2700 万円と算出し、1千万円の赤字とコンサルタント会社は清算した。

9月1日県有化の協定締結

 協定は(1)建物は県が町から無償で譲り受け、敷地は無償で使用する。 (2)平成43年3月10日までに県は庁舎と敷地を町に返還する。(3)劣化防止や安全確保のための修理、補強経費は県が負担する。(4)献花台や慰霊のための施設は町が維持管理する…ことなど7項目の合意事項を盛り込んだ。

 一時県有化は、保存の是非を一定期間議論し、結論を出す措置は、町民とオープンに議論できる場をどうするかをこれから考えると、終了後に語った。

南三陸町人口の推移

 平成22年3月までの人口から平成27年5月を差し引き、人口の増減としましたが、3.829人の減少の中には東日本大震災大津波の死者数793人(死者444人と行方不明349人)が入っている。

 今後の町の人口減少が10年後には、現在の13.975人(7月末現在)から約1万人となり、30年後には8千人と予想される。
 町は子育世帯への環境整備や支援の拡充を図り、Iターン・U ターンの受け入れ体制の構築や観光交流人の拡大を上げる。人口減少への対策に今、本腰で行政は取り組んでいる。

第1回志津川市街地換地説明会

 4月30日町庁舎2階会議室において志津川市街地換地の、事業計画変更について行政とUR都市機構による説明会が開催された。
 はじめに工事の進捗についてで、大森町南側においては土地区画整理事業と並行して、宮城県が施工の防潮堤や県道の橋脚が建設中と説明された。
 事業変更概要では、㈰申し出換地の形成と道路㈪河川堤防・防潮堤と橋の台 ㈫道路を見直しし、宅地部分を大きくした等が説明された。集まった地権者は話を聞くだけに留まった。
 27年5月7日〜5月20日の間、事業計画変更(第1回)の法定手続きとして、役場内で事業案の縦覧が行われた。


 今後の換地への進め方では、27年6月〜7月「仮換地案の個別説明」があり、地権者への仮換地の位置・地積等の詳細説明。27年9月以降順次に「仮換地指定」事業の進捗に合せ土地区画整理審議会の意見を聴き、縦覧の土地を仮換地に移行させる手続きへ。宅地完成後順次「仮換地の使用収益開始」仮換地の宅盤及び周辺道路等の工事完了後に引き渡し、使用収益開始日から使用ができる。これが仮換地から使用開始までの流れです。
 個別説明会、南三陸会場として6月11 〜 14日、6月22 〜 24日、6月28日、6月30日〜7月2日、役場会議室・アリーナ大会議室・ポータルセンターで日にちにより会場が変わる。登米会場は6月16 〜 17日南方イオン仮設1期集会所。仙台会場と東京会場も指定の日時と場所で開催される。
(志津川地区復興区画整理だより4号・仮換地地権者へのお知らせより)詳細は町まで

アップルタウン南三陸開業へ
17年3月を目標に住民の生活支援を

 9月5日の河北新報に、「ウジエスーパー17年3月開業目標」と、宮城エリアニュースに掲載されていた。
 当初の早期開業に向け、御前下地区への場所を確保し計画するも、河川堤防や高台横断道路そして国道398号のルートの交差する場所に在り、多くの問題で建設が延び延びとなっていた。そして今回は志津川地区の高台移転「中央区」の予定地前の天王前への建設に固まった。南三陸町の志津川地区の3つの高台の真ん中に位置し、住民の生活の再建の支援となる。
 この場所は新井田川の河川の架け替えがあり、町の施設用地でもあり、町の計画とスーパーの希望が合致して、建設予定地に決定した。社員・パートを含め50名の雇用が生まれる。テレビでの住民の声も、「ウジエさんへは毎日のように買い物に行っていた」「今は40分もかけ隣町に行っている」など、大変うれしい話しだという。
これまでの御前下への建設予定が時期を二転三転し、スーパーの近い所へと「西地区」への変更者多々あった。予定地の地権者もウジエさんとの土地の賃貸契約での収入の確保を考えていた人も少なくはない。

 町の誘致計画・企業の早期開店・住民の目論み・早期の買い物の場確保など、多くの問題がスーパー建設にはあった。
氏家専務は「1974年から志津川でお世話になり震災復興への支援をしていきたい」と話す。
 震災直後の23年から建設への意欲のもと、行政への建設支援を求めていたが、市街地の再生の道路の復旧の面から、ここまでの遅れとなった。しかし、住民の買い物の場の道筋がはっきりしたことで、志津川地区で暮らす人達や、近隣で生活する地域住民も大歓迎だろう。
土地は町を通してウジエスーパーが借りると言う。
町の被災地の企業誘致計画第一号として土地の活用になった。被災した土地の利用と、工業用地への企業の誘致がままならない中で、広大な土地の利用をウジエスーパーが、その企業の先駆けとして南三陸町天王前地区に平成17年3月のオープンに向け動きはじめる。
 南三陸町に2年半後「アップルタウン南三陸ショッピングセンター」が天王前にできる。駅前の以前の店舗の3.5倍と言う。ドラッグストア・コインランドリーも併設し、水産物・農産物の直売コーナーや、イートインコーナーも整備し、住民の交流の場もできる。諸々の地域支援がウジエ建設には盛り込まれている。
 ウジエ建設への要望も2年前に、住民2500人の要望書が町に出されている。それが実現へとつながった事となる。

志津川地区町づくり協議「輝くみらいづくり部会」参加報告(5)

志津川まち協が次のステップへ

第1回「輝くみらいづくり部会」開催

「志津川地区まちづくり協議会」から、新しく設置された「輝くみらいづくり部会」の第一回目の会議が、8月21日(木)午後6時30分から役場大会議室で開催された。新しい委員20名の自己紹介があり、佐藤伸治部会長(本浜)が議長をつとめ、協議事項のワークショップをおこなった。会議では市街地の隈氏のグランドデザインについて議論した。八幡川の親水性を意識し「階段設置」があり、それが図で示された4カ所で、形・場所に関して委員から多くの提案が出された。

 新しい志津川市街地は来町者の「回遊性」を重視し、限られた場所に車を止め、町内を散策する街づくりを計画する。高台からの町民には巡回バスの運行もあるが、市街地も歩く事を求められ、観光客も同じで歩いて志津川地区の新しく生まれた町を見てもらう。ワ—クショップでの昔のような生活をの要望もあり「会社の帰りに車で店に横づけし買い物ができるように道路を広げては」などの提案があった。新しく生まれ変わっても以前のような店・人とのつながりの環境をとの願いがある。

八幡川の河川堤防について
1.中橋の復活を
 (仮称)新中橋の再整備
2.長く幅の広い親水空間のある遊歩道の整備
 イベントの開催できるしつらえ
3.親水空間への階段の設置
 45号線を囲むように4ヶ所
 新中橋(仮称)の海側2ヶ所
4.緑面積堤防にできるようなしつらえ
 コンクリート堤防から、緑面堤防の可能なしつらえ




志津川市街地 防災集団移転事業アンケートまとまる。

 土地希望の半数以上が購入を希望した。購入197 世帯(56.2%)借地は153 世帯(43.7%)の意向を示した。
 ・移転意向は東区154 中央区135 西区70 の合計が359 世帯。
 ・旧行政区・親族・友人などグルー プ入居希望が3団地103 世帯あった。
 ・100 坪希望が271 世帯(77.2%)、 70 〜 90 坪が53 世帯(15%)。
  ・店舗付住宅希望が62 世帯(18%)で、飲食店・菓子店・理容店・事務所などがあった。
 ・地価は坪あたり 
   東 区が 約5.6 万〜 6.3 万円で借地が66 〜 74 円
   中央区が 約5.3 万〜 6.0 万円で借地が62 〜 70 円
   西 区が 約 5万〜 5.6 万円で借地が58 〜 66円

6月掲載記事より

志津川地区町づくり協議会合同専門部会参加報告(4)

町への提言提案(中間報告書)
〔第18回高台移転、第15回産業再生、第16回公園合同専門部会(5月22 日)〕
 高台7名・産業5名・公園10 名に町長・副町長も参加して開催された。始めに及川会長が町協も2年を迎え1つのステップに達した。良いコミュニケーションの構築を、元気な町、一人でも多くの人が帰ってきて、孫子の代まで皆さんが楽しく住める町の創造のために、次のステップの部会の在り方について語った。
《高台移転部会》
 居住ゾーンの位置付けとして、高台の住宅地や公共施設周辺を造成し、より安全な居住地を形成する。公共ゾーンとして、役場・病院など重要な公共施設を高台に移転集約する。
 目的とすべき方向性は、〈その1〉として志津川における高台住宅への移転決定方法として (1)コミュニティへの配慮 (2)特別な事情がある方への配慮を上げ、優先順位として元地主、要介護者その家族、災害公営居住者の親族と続く (3)公平性・情報公開性の配慮とした。
〈その2〉志津川における高台住宅地に必要な機能として、●若い世代が住み続けられる住宅地 ●福祉介護施設、道路勾配など高齢者への対応 ●日常必需品の商業施設 ●子供たちの遊べる公園 ●低地部への商業地域のアクセスなど多くの提案を出した。
〈その3〉志津川の高台移転の全体のルール確立と地区別検討体制の構築を議論し継続検討とした。

《産業再生部会》
 低地部の商業・観光ゾーン及び、産業ゾーン等に関する提案にして中間報告として出した。
 「商業・観光ゾーン」を港町らしい賑わいと魅力ある店舗等が並ぶ区域とし、「産業ゾーン」は水産業の再生に必要な市場、作業場、水産加工施設などを効果的に配慮する区域として、この2つの市街地の再生を検討した。
 目標とすべき方向性として、三陸道の開通を踏まえ、商業の中心地として国道45 号と398 号及び八幡川に囲まれた地域を重点エリアとする。志津川漁港付近に来訪者を意識した施設の集約が必要と位置づけた。
 「先行して完成させ復興をリードするエリア」の必要性として、㈰商業の中心として旧五日町付近を先行的・重点的・に整備する。㈪来訪者向けを中心とした共同店舗を整備。㈫志津川低地部を回遊拠点としての大規模駐車場の整備の3点を上げた。
 部会としてイベント空間の確保等による観光客の回遊性と町民の賑わいの場の創出と、高台の商業形成として日用サービス品類などを扱う店舗の形成促進についての議論は継続検討内容とした。
《公園部会》
 公園・緑地ゾーン及び、八幡川の河川堤防に関する土地利用と環境整備を提案した。
 「公園・緑地ゾーン」は復興の象徴であり、防災機能を有するなど多面的な役割を担う公園を整備する地区として、その形態について検討した。
 部会の目標とする方向性として、海に近い所から「原点ゾーン」「現在ゾーン」「未来ゾーン」と位置づけ、震災から復興までの軌跡が見えるような空間構成を目指した。
 その1として原点ゾーンについては(1)防潮堤を陸側にセットバックさせ、海と触れ合える空間を確保する (2)防潮堤をセットバックさせ生まれた空間は、現状のまま自然回帰させる(3)津波により破壊された旧防潮堤の一部を震災遺構として活用するとした。
 その2の現在ゾーンには、(1)防潮堤までの嵩上げを実施(2)町内外の人の交流・学習の場となるネイチャーセンター(仮称)の誘致(3)原風景の復活及び減災に資する防潮林の植裁を提案した。
 その3の未来ゾーンは、公園エリアと自然的土地利用エリアは継続検討とした。その4として、八幡川の河川堤防については (1)長く幅の広い親水空間のある遊歩道の整備 (2)親水空間への階段の設置 ㈫緑面堤防にできるようなしつらえ (3)中橋の復活などを提案した。
 平成23年12月に南三陸町震災復興計画が策定され、「自然・ひと・なりわいが紡ぐ安らぎと賑わいのあるまち」の実現に向けて、「町づくり協議会」の3部会では、専門部門の部会員が2年間真剣に議論し、町へ提案提言として中間報告をした。

志津川地区町づくり協議会高台移転部会参加報告(3)

26年1月6日(高台移転部会)6名参加委任状6人

● 報告では、高台移転団地の登録・個別相談会について
 1月17日から2月末まで「団地登録申請書提出・受付け」、必要に応じた希望団地を調整する。春頃には団地決定通知(=登録)を予定する。
 協議では㈰移転方法のシュミレーション㈪移転方法について
●移転方法の希望者質問の問㈰は希望エリア 問㈪で同一ブロックへのグループ申し込みの2題について話し合った。 
 移転場所の個人の決定は質問を簡素化した。相談担当者には地元の女性を、何でも要望が聞きやすい状況をつくってほしい。今までの抽選の反省として、透明性・公平性を重視してとの話しがでた。西地区には戸建ての災害公営はなく、保呂毛・畑の防集の中止により西地区に加わり、17世帯だったものが12世帯にと報告された。
 行政区に関しては、方向性は町に示してもらう。
消防団は4月から(新年度)再編成する。

26年2月13日(高台移転部会)7名

  報告では、町から㈰復興整備航空写真について㈪志津川市街地復興まちづくり模型制作プロジェクトについて、高校生から高台のコミュニティづくりについて希望・発表があった。
 この日は志津川高校との連携で美術部との「町づくり模型制作」が進められている事の報告があった。また高校生の「コレクティブハウス」の体験報告があった。自分たちが今後暮らす町を考え、高台移転の集会所(コモン)の在り方を考えた。多様化する家族の形態に対応する集会所を模索し、公共のスペースとしてキッチン・図書館などを設置し、住民の皆さんが協力しながら運営していく。地区が一つの中に整っている。高齢者・一人暮らしの人が多くなり、防犯の面での施設の利用があるなど高校生の考えを発表した。
  協議では、高台移転方法の方向性・ルール作りについて話し合った。
 「宅地決定方法(優先対象者)」については、地主・介護の必要性・グループでの移転などが優先になっているが、グループでの高台の地区が決定した場合、場所の希望については全ての第一希望からで、次にまわされる。「宅地決定方法(優先対象外)」は抽選のやり方があり、希望が重なった場合抽選が公平であるが、デメリットもある。意見として「住民の目の前でやる」「抽選があたりキャンセルする場合はペナルティを」など、住民が納得できる高台の土地決定を議論した。

26年3月6日(高台移転・産業再生合同部会)高台5人産業6人参加

 はじめに、高台での店舗付住宅の希望があり、その報告で東地区14件(未3)、中央区18件(未3)、西地区5件(未1)の、高台移転の現在の数字が示された。県からの確認で、建設の中身を満たせば、「クループ事業」の活用は問題ない。また、高台造成の完了時期と住宅建設事情があり、グループ事業への参加を断念するとの話しも聴く。
 協議では、㈰店舗ゾ—ン ㈪業種の制限 ㈫買い物弱者への対応 ㈬業種・個人別事情の配慮について、合同で議論が交わされた。
 高台に店舗ゾーンを決めなくても・集約した商店は必要・生活を支える商店は点在した方が・高齢者が買い物をする利便性などが、上げられた。
 産業再生部会は低地部の商店形成が基本であり、高台での出店は経営は厳しいなどがあり、対策として「巡回バス」や、販売車で買い物弱者に対応できる。また、店舗付住宅建設予定者が、理美容・菓子店・衣料店・飲食店などが、東・中央区に出店を希望している。
UR都市機構の報告では、3地区の戸建・災害公営の被災者希望の中間報告があり、戸建では435戸から360戸と「75戸」の減少があり、災害公営でも560戸が500戸台と減っている事が話された。
 町内・町外に置いても現在、自己再建が加速している。高台造成を待てないとの話しも各地区で聞こえ、農地から宅地への転用が進む。
(高台移転の部会参加情報は、1月から3月で状況・数字は日々変化しています。ご了承ください。)


三陸新報 戦後70年



千葉賢一作品集「遺稿集発刊に寄せて」



河北新報で千葉総合印刷取締役社長 千葉賢二郎 掲載される


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