◆南三陸町から愛と死と希望を見つめて
ブログネーム:トゥルー・ブルー・ハート http://nobu6399.blog118.fc2.com
・南三陸町の風景から ・南三陸町の子ども達の活動から ・南三陸町の行政に思う ・南三陸町の動向から
・南三陸町の人間模様から ・南三陸町の友達との活動の中から ・南三陸町の町長さん、議員さん
ブルー・トゥルー・ハートとして自分を見つめ、町を見つめ、人間を見つめ
素晴らしい「我が町」づくりの模索です。町民皆さんと一緒に考えましょう
南三陸の贈り物 〜 専務事業の再復活 〜
南三陸町のホタテ、タコ、カキ、秋サケなどの海産品や、のり、ワカメの加工品、登米市の「油麩(ふ)」などを、ご希望により発送いたいします。
「南三陸からの手紙」を添え、被災地支援を兼ねての贈り物です。
「第1弾」
・味のり 1パック
・わかめスナック 2パック
・油麩 1袋
それに「南三陸からの手紙」を含め、
発送込みで
3,000円です。
手紙の売り上げの分は、仮設に住む被災者の支援に充てたり、女性の再建事業資金の一部にもまわっています。
私がお奨めする品を町内の商店より買い求め発送致します。時間がかかるものもありますのでご容赦ください。
◆ご連絡先:0226−46−3069◆
◆専務の 新たな復興に向けて
2014/3/11 (3/12記載)
震災から3年を迎えて
3年目の震災のこの日を迎える。防災庁舎を向かいの対岸から望み「合掌」。ここにはサトークリーニング店さんがあり、議員としてこの店舗を利用し、新たな活動・事業に出向く時、町役場・防災庁舎・第二庁舎を望んでいた事を思い出す。八幡川の流れを見ながら、川の恵みを頂きながら育った。
国会で被災地への支援が、3.11の前日に議論されていた。「復興が遅い」「福島は何も変わっていない」など、被災地住民が思う事はみな同じだ。
「復興交付金」の延長が求められている。10年の復興計画の中で街・地域の再生が進められ、10年に渡り復興交付金が事業申請により、認可され被災自治体へ来る物と思っていた。交付金は5年で支給が終わり事業を消化するという。国会で復興交付金の延長をいう。3兆3千億があと7年間で活用される。交付金を自由に使えるように、自治体へ渡し「基金」として積み立て、工事の進捗に合わせ使えるよう制度を変える事が必要という。
防潮堤の県の工事は土地の買収から工事設計と進む。防潮堤の設計変更は事業の遅れとなる。村井知事は見直しは出来ないと話す。高台移転の意向で「土地取得」が減少の一途を辿っている。土地買い上げも進み、今からの造成地の縮小は出来ない。
多くの犠牲者を悼み遺族の「家族の死」に、今だに立ち直れない人々の生活をテレビが伝える。「自分はまだ幸せ」と、総てを津波で無くししたが、家族が助かり今生きている事で感じる。
手を合わせる被災者をメディアのカメラが追っていた。震災を被災地の「風化防止」が今世間で語られるが、南三陸町が全国・世界から忘れられない為にも、報道は大いに必要と思う。
2014/2/3 記載
「海花・東日本大震災復興の会」に参加して
「海花・東日本復興の会」の二周年大会に行ってきた。発足当時からある知人を介して会に参加している。二年前は東松島市の方や岩手に入ったボランティアの人たちが当時の被災地の現状を報告し、私も南三陸町の現状を伝えた。
今回の二周年大会は、200名を超える方々のほかに県会議員や市議会議員、そして関係者が20名以上も来賓で出席されていた。
講演では「閖上朝市」の組合長が立ち、昨年暮れに全国からの支援により再建し、多くの来場者に感謝しかないと話した。カナダよりの突然の1億を超える支援金に驚いたと言い、今後は支援金は「もう大丈夫です」と話し、被災前までのように営業で商売競争に勝っていかなければならないと、通常に戻る事の大切さを話した。震災支援による沿岸の商店街は、すべてが営業不振や閉店に追い込まれている。誰かからの資金支援経営はもう終わりにして、自力で生きていく事の必要性を訴えていた。最後に「とにかく来てください」と話を結んだ。
「心意気」を被災地の商店主ならず発揮しないといけない時期に来ている。
県会議員の今野会長が宮城県の震災復興の現状を話してくれた。1時間にも及ぶ話は、震災直後の米国の「友だち作戦」から「自己の体調」「復興報告まで」、延々と聴き続けても飽きる事ない内容だった。
空母「ロナルド・レーガン」には上陸艇4隻など18隻が搭載され、震災時に東日本震災で活躍した事や、4600人が乗船し1万1千食を毎日作っており、勿論病院等通常の生活ができる全てが整っている。そんな大型船を東松島に固定し、裏戸諸島の周辺を2020年の「海洋博覧会」の場所としてアピールする。そして海の素晴らしさの発信を宮城からしようという構想の話があった。
また、震災時の救急車不足に「徳洲会」が支援をくれたという。今問題になっている団体ながら、南三陸町にも徳洲会の服に身を包み、医療活動をしていた人たちがいた。徳洲会は被災した地区に救急車18台を支援し、そのうち5台が南三陸町に配備された。一番不足したのは「酸素マスク」で、津波による海水を飲み込んだせいで、肺が弱まった患者への対処マスクだった。会長は自らが糖尿病であると言い、透析患者は震災地での透析治療ができなく、近隣の市や県に患者が搬送されていた。自分は「腎臓移植」を済ませていたので、免疫抑制剤が無くて大変だったと話していた。
県の問題として、「医師不足」「人口流出」を第一に上げ、それに対する対策を講じていると話す。県内に医大を一校新設への動き、住宅の早期確保を上げていた。
来場者に対し、第一声として森副会長が声高に語った「みんなで一緒にやりましょう!」に、多くの元気をもらった会であった。
2014/1/17 記載
本吉郡剣道新春初稽古会
宮城県は今年最低の寒さを記録した。「-5℃」の最低気温の中で、平成26年本吉郡剣道新春初稽古会が歌津中学校を会場に9時から開催された。
小学生21人と中学生24人、高校生3人に一般15人を含め63人が、稽古会に参加した。「寒い」と震える子供達も無く、日ごろの指導者との稽古の鍛錬で、剣道の精神の修養の賜物と感じる。体育館には冬の暖かい陽光が練習場に降り注ぎ、元気な気合いの「メーン」「ヤー」と、響き渡っていた。
初めに郡連剣道協会会長の小野寺先生が挨拶で、本吉・気仙沼の代表となった中学の大会報告をした。歌津中の男子の連勝を阻んだ志中が、「県新人戦でベスト8に入った」と告げ、その他のチーム・個人も輝かしい結果となったと話した。また、「新しい目標に向って取り組んで欲しい」と結んだ。
小学生低学年・高学年と中学校に分かれ、一般の各剣道協会・スポーツ少年団の指導者が、レベルに合わせて基本を中心に指導をした。打ち込みの打突・左手の使い方、打突の場所を正確に捉える事の大切さを、繰り返し熱心に伝えていた。
「三年生は今後の高校受験を悔いなく臨んで欲しい」と会長は付け加え話し、今後も剣道を続けて欲しいと語った。
南三陸町の小・中・高校と剣道人口の減少に協会は頭を痛めている。団体戦のチーム五人を組めないとの、切実な問題が発生している。個人戦でも大会の参加が出来る事が救いだ。年度末前後からスポ少の団員募集があり、4月の中学入学と同時に部活の入部も始まる。志中は戸倉中学校との統合が26今年度からで、新しい部員入部を期待する。
南三陸町の剣道の伝統は長く、県での大会結果も輝かしい物を残している。「伝統の灯」を消さない為に一人でも多くの入部を望んでいる。
2013/11/1 記載
◎選挙前の19日に東大阪東RCの同業者の方からの依頼があり、東大阪東ロータリークラブの支援に同席致しました。多くの支援団体が来町され道案内役として、また情報発信活動の一端です。心温まる支援に応えることが千葉印刷、そして南三陸町の情報発信者としての義務であり、今後も来町者・被災者を支援します。
平成の森仮設と東大阪東ロータリークラブ 〜車両支援プロジェクト〜
10月20日、東大阪東ロータリークラブの車輌支援プロジェクトに同行した。平成の森集会所において、車両(軽トラック)の引き渡しと、自治会とクラブの交流に同席し、被災地の当時と現状、そして今回の支援活動について意見交換を行なった。
東大阪東RCの被災地支援プロジェクトは、軽トラックの3年間のリース契約料(87万円相当)を支援するもので、ドイツハンブルクRCの4台の車両支援も2年半が過ぎ、資金面での継続が困難となっていた。自治会長の「軽トラックは引き続き必要」との希望から、車も老朽化が進んでいるため新古車に切り替え提供された。東大阪東クラブ、地区震災支援金とドイツハンブルグRCも加わり、結果的には3者の共同プロジェクトとなった。
平成の森仮設の畠山自治会長は218戸515人が仮設に被災者として現在住み、75歳以上が76人もおり、3年前後の再建まで軽トラックはなくてはならないと話す。
訪問団から「今後も支援して欲しいことはないですか」に、「生活に関しては満たされているが、ハードからソフトへ」と、行政の支援を言う。復興の住宅再建、造成が順調に進み、被災者への生活支援を充実することで、被災者は町の復興計画を安心して仮設で生活ができる。
東大阪東RCをはじめとする、国内・国外からの多く支援の下で被災地は再生へと向かっている。