南三陸町志津川マイタウン誌「千葉総合印刷」 南三陸町マイタウン情報「志津川広報センター」

お問合せ:0226-46-3069

 

| 新着記事 | ホーム | 会社案内 | 旧ホームページ> |


マイタウン情報


最新記事


南三陸町の出来事

最新記事

第9回追悼式典

 令和2年の第9回目になる「南三陸町追悼式典」は、アリーナ「交流ホール」において開催されたものの、「新型コロナウイルス問題」の発生により大幅に縮小され、午後2時〜午後7時まで会場において献花をおこなった。
 会場では役場職員が、消毒とマスクをしていない方にはマスクを渡していた。慰霊塔の
前の献花台が設置された場所までは、職員が来場者を案内してくれた。

南三陸町の復興に努力したい!

 南三陸町の成人式は、成人を迎える皆さんが実行委員会を立ち上げ、式の司会・進行などの総てにわたり成人者が企画演出を毎年行っている。初めに志津川・歌津・戸倉・入谷地区選出の実行委が、正面に並び委員長の高橋君は「支えてくれた実行委員に感謝します。」「皆さんよろしくお願いします。」と整列した仲間と頭をさげ、自分たちが選んだ曲に合わせて成人式が始まった。
 令和元年度南三陸町「成人式」の新成人は、志津川60人、戸倉20人、入谷21人、歌津52人の合計153人(男78人、女75人)ながら、参加者は134人となった。
 佐藤町長の式辞では、「小学校の最高学年になる時に大震災になった」「己らが選んだ環境の中で頑張ってきた」と語り、「大人としての未来・希望に迎い、自己研鑚でねばり強く成長してほしい」「信念と自信を持ち悔いなく人生を生きてほしい」と言葉を贈った。
 お祝の品の贈呈では、桜の木の「名前入り塗り箸」が記念品として成人者に贈られた。
 三浦議長は、「新元号初めての成人式、皆さんの顔は晴れやかで眩しい」「これからの時代を切り開き、皆様には広い視野でみてほしい」と語り、「豊かな海を守り生かしながら、南三陸町にほこりと愛情を持ち強くたくましく、しなやかに生きてほしい」とお祝いの言葉とした。
 誓いの言葉では、「更なる復興と発展に貢献できたらと思います」と集まった皆さんの前で誓った。
 成人の抱負で、畠山さんは「南三陸町をささえる存在となりたい」と話し、小野君は「困難に挫折しそうになった時、家族が支えてくれた」「一つひとつに責任を持ち、地域の皆さんを支え、誰かのために活動しないといけない」と、これからの自分の考えを語ってくれた。

防災・救急の拠点完成

 南三陸町新井田の中央団地の眼下の国道45号線沿いに、3.11東日本大震災から8年6カ月を経過し、気仙沼・本吉地域広域事務組合「南三陸消防署」の落成式が9月2日、関係者60人を迎え開催された。
 震災後の消防体制の確保として、2011年4月にアリーナ南側にトレーラーハウスにて消防署活動体制が早期に開設された。手狭だった場所から2013年4月にアリーナ北側に仮設庁舎が整備され、6年2カ月を経て新井田地区に南三陸消防署が本設となった。
 開会にあたり広域組合副管理者の佐藤仁町長の式辞では、「国の消防防災施設災害復旧助成金を活用した。土地は南三陸町から借用し、建設関係団体の尽力により開庁の運びとなった。」「殉職した9 人の職員・団員に完成を報告し、後輩たちの活動を見守っていただきたい。」と挨拶した。
 建設に協力・尽力された企業3社に、感謝状が贈られた。
 広域議会の三浦清人副議長の祝辞では、「地元の皆様のご協力により災害からの復旧を遂げた。」「自然災害は北海道でも大規模な災害が発生している中で、新たな拠点として期待している。」と述べた。安住淳衆議院議員は「災害はもとより救急搬送をよろしくお願いしたい。」「救急救命の役割は大きく、広域医療体制で安全安心の拠点に」と語った。
 小野寺五典衆議員議員は「防災訓練の卓越した技能を発揮していただきたい。」「町民の皆様に勇気を与えていただきたい。」と話した。
 工事の概要説明では、平成30年7月から1年間の工事期間で、事業費は約5億4千万円だった。訓練塔は鉄骨造りのA塔は5階建てで、B塔は3階建てとした。
 2日の落成式の数日後には、新消防署の一角に殉職署員の慰霊碑も移設された。町民にも手を合わせられる場所として整備された。

志高文化祭は大盛況

 8月31日の志高生の文化祭恒例の「仮装行列」で始まり、多くの町民や生徒の家族が校舎
前の企画テントに群がり、生徒たちが調理し販売までの計画を、仮装告知が功を奏し多くの来場者を迎えた。
 「旭ヶ浦祭2019」は「~志高……アッセンブル!~」と題され、後藤実行委員長の挨拶には「アッセンブル」の意味として「集める、組み立てる」と紹介し、「志高の生徒だけでなく、先生方やお越しいただいた方々が集まり、この旭ヶ浦祭を盛り上げる。」そんな意味を込めたと語る。
 屋外テントはクラスやPTA企画があり、2年2組では「力士たちの稽古部屋」と題し、大盛りのピラフと格安の餃子を販売し、2年3組の「ガン子ちゃんカレー屋さん」は学年担任がカレー好きなことから企画した。PTAは「かき氷屋」と、テントの前は来場者でいっぱいとなった。価格も250円前後で、2つ3つと買い求め、テント前では座りながら歓談の輪ができていた。
 各教室でもクラス企画や音楽の発表など、工夫にとんだ志高生の活動が見られた。そんな中で自然科学部の「ゴカイと愉快な仲間たち」の研究の発表を、みなさんに部員が説明していた。子供たちには「海藻のしおり作り」を紹介した。また、生徒の活動の研究発表では生徒がまとめた表を丁寧に説明してくれた。ネイチャーセンター準備室の阿部拓三先生、福岡研究員の指導を受け、南三陸町の海中生物の実験や研究は楽しいと話してくれた。
 被災地の高校生として、まだまだ不自由な環境の中で、生徒は各々が自分の取り組むスポーツ・勉学に精一杯活動していた。

上山八幡宮で たがい市

 9月14・15日上山八幡宮で「秋季例祭」が開催された。14日の宵宮祭は17時30分からで、神事・巫女舞・夜神楽が奉納された。本殿への階段にはロウソクの列がつくられ、氏子や参拝の子どもを連れた家族や、地区の住民が足を運んでいた。待ちきれない人たちが神楽の舞台前に、出店で買ったものを持ち込み、始まるのを楽しみに座って待っている姿があった。
 たがい市に来場された皆さんをコーラスの方々が合唱で楽しませてくれ、上山の八幡様の18時30分「奉納 夜神楽」の前に、出店で食べ物を買い、用意されたテーブルで音楽を聞きながら楽しんでいた。
 何も無くなった志津川地区の市街地に地域住民の集える場所として、今後も活動を期待したい。夜の町の神社に、賑わいと灯りが八幡様の境内に広がっていた。
 15日の日曜日には「神輿渡御」と「稚児行列」があり、さんさん商店街の中を25名の来年小学校入学の子供たちが、行列を作って参加していた。

ツールド・東北2019

 9月の14・15日の連休の前半、東北地区の被災地応援のツールド・東北の7回目が開催された。好天にも恵まれ、ライダーは三陸沿岸の45号線を滑走していた。
 石巻市の専修大学から気仙沼市内を走る「気仙沼コース」と「南三陸コース」など5コースに4千人が参加した。気仙沼の出発式には、100Kコースに440人がスタートラインに立った。
 16日には、仙台市で台湾の自転車メーカーの開催者20人が、秋保地区を走行した。仙台市の郡市長も、宮城の観光地を巡る「サイクルツーリズム」で汗を流した。
 南三陸町の志津川地区の商工団地交差点では、親子らしい2人が歩道で一生懸命に大漁旗を振る姿があり、ライダーは手を上げ応援に応えていた。志津川海岸インターのT字路の信号では車の交通量が多く、「お先にどうぞ!」と右左折の車両を優先させ、交通マナーの順守で「ツールド・東北2019」を楽しんでいた。復興期も残す所1年半となり、全国・世界から被災地支援の流れが続く事を願っている。

志高生の元気が皆さんに笑顔を

 9 月1日に一般公開される志津川高校の「旭ヶ浦祭」の告知のために、生徒約50 名余りが仮装して行列を作り「さんさん商店街」をねり歩いた。この日は週末の土曜日、多くの来場者が商店街を散策し、飲食店のフードコートでは食事の番を待つ来場者の姿も見られた。
 アニメやキャラクターの様々な仮装に、生徒は初めは恥ずかしいようだったが、「来て下さい」「……ありますよー!」など、自分たちのクラスごとのコーナーをアピールしていた。その他にも各部活動の発表もある。
 志高の「旭ヶ浦祭」の生徒の活動を町民みんなで応援しにいきましょう。

志津川湾夏まつり 福興市 1500 発の花火が夜空を彩る

 2019年7月27日土曜日、12時からのオープニングセレモニーで「志津川湾夏まつり復興市」がスタートした。
 天候にも恵まれ、市場前の大通りには たくさんの出店が軒を連ねた。家族連れや着物に身を包んだ来場者が思い思いの屋台で食べ物を買い、フードコートでステージイベントを楽しんだ。
 路上イベントは15時からの「トコヤッサイコンテスト」で、多くの来場者が7チームのパフォーマンスを楽しんだ。参加チームは㈰社会福祉協議会 志中「チームわかめ」 台湾「ツキノワグマ」(初参加) 志中「チーム銀ザケ」 (株)行場商店 志中「チームたこ」 黒龍会
 「黒龍会」が今年も優勝し3連勝となった踊り・コスチューム・元気大人と子供達のコラボ参加チームは少ないが志津川湾夏まつりに色々な華を添えてくれたトコヤッサイコンテスト!
 志津川中学校からは 「銀さけ」「たこ」「わかめ」の3チームが参加生徒の元気が来場者に伝わった頑張れ「志中生!」
 台湾の「国際交流」の高校生台湾の雰囲気いっぱいにこんな所にも震災で育まれた「絆」を感じる
 「繋がる!」事の意味を社会福祉協議会は背中の「繋」で伝えていた黒とピンクのコスチュームがまた良かった

厚い志を持って 記憶に残る卒業式

 第72回志津川中学校卒業式が3月9日開催され、3クラス86名が志中の学舎から旅立った。今年度の卒業生で、「第12093号」となった。
 志中の生徒憲章には「蒼天(そら)のように高い志をもち 知識を身につけよう」「海洋(うみ)のように広い心を持ち 互いを思いやろう」「里山(やま)のように大きく たくましい体をつくろう」「イヌワシの翼のように 南三陸(ふるさと)の絆を広げよう」があり、これからの人生で憲章を胸に次のステップに進む。
 三浦馨校長の式辞では、「自分の未来を切り開く決意を示す場」「人生の1.6%が中学校時代、自分たちの人生にいどんでほしい」「学ぶ事から逃げていないで進んで学び、自分自身を磨いてください」と語り掛けた。
 祝辞では三浦議長が、大震災の中での中学校生活は「苦境にたって、生きる力となった」そして「将来に期待を持っている」と、南三陸町の復興の力となって欲しいと語った。
 送辞には三浦和佳子さんが立ち、「苦しい時に寄りそう心」を教えてくれたと涙ながらに話し、答辞では佐々木康佑君が3つの小学校から集まり、同級生として話ができるようになったと言う。そんな中で「部活動が私たちを成長させてくれた」と3年間の想いでの言葉に、涙する卒業生の姿があった。「支えあおう、また今日!」と、答辞を結んだ。
 卒業記念合唱では、卒業生が「群青」を、全校合唱では「旅立ちの日に」で、平成最後の志中卒業式をしめくくった。


志高創立95年に69名の卒業生 平成最後の卒業式

 平成30年度のビジネス科21回生・普通科71回生の卒業証書授与式が平成31年3月11日に
開催され、ビジネス科17名・普通科52名の総計69名が、平成最後の卒業生として巣立った。
 葛西利樹学校長の式辞では、「夏の高校野球大会では、しおかぜ球場で足のケイレンに耐え必死に白球を追った」と、部活動の取り組みを伝えた。「友は一生の宝物」「いつもチャレンジャー」であって欲しいと語った。
 来賓式辞では、佐藤町長が「20世紀の時代の変わり目に生きて来た皆さん!」と話し、苦しい時を迎える事もある。「友だちのまなざしを想い出しながら、分かち合える人間になってほしい」と語った。
 送辞では後藤君が「先輩たちには不安と期待があると思いますが、高校での生活が先輩たちの支えになる」と話した。答辞では歌津地区の三浦裕太さんが「ワクワクした達成感を感じる。どんな時でも全力で向い、クラスのみんなで達成してきた。これからは沢山の恩返しをしたい」と述べた。
 最後の「校歌斉唱」はきっと感慨深いものだったろう。進路は進学が男女で30人、就職は31人で、自営の後継者などには4人がいた。


卒業証書は大切な証 44名の志小卒業生 次の段階へ

 平成最後の志津川小学校の44名の6年生が、大震災発生後の厳しい生活環境の中で、日々変わる南三陸町で家族と多くの方々の支えの元、この卒業という慶き日を迎えた。志津川小学校の第9570号から9613号の卒業生を送り出した。
 齊藤明校長先生の式辞では、第一声に「卒業証書は大切な証です。」と述べた。くろしお宣言で「いじめのない学校にしよう」と取り組んできた。児童の学ぶ姿の発表に「南三陸町のまちづくり」があり、「南三陸町の未来の夢」を発表した。「自分が目指す目標をしっかり抱いてほしい」と話した。結びに「かけがえのない宝物を本日お返します」「私の心の中に良き教え子として輝き続けます」と締めくくった。
 町長の祝辞(代読)では、「たのもしい成長となりました」「がんばる力に家族や地域の方々と先生方や仲間に、感謝の言葉「ありがとう」を忘れないで下さい。」と語った。
 志津川中学校の氏家さんが「先輩からのメッセージ」で、「一年生から努力をする事が大切です。」「自分一人でかかえず、周囲の皆さんをたよってください。」と中学校生活のアドバイスを送った。
 旅立ちの言葉では、「夢に向かってガンバリます。」「大好きな志津川小学校さようなら。」と会場の皆さんに語った。
 志津川小学校ではいじめをたくすために、「くろしお宣言」がある。1.相手の気持ちを考え仲良くします。1.あったか言葉を使います。1.友達のいい所を見つけます。1.困っている人がいたら声をかけます。と4つの活動に取り組み実践している。

図書館・公民館の複合施設

 震災9年目の平成31年4月25日に、南三陸町生涯学習センター開所式がおこなわれ、町・建設関係者総勢100名を超える出席者の元でオープンを祝った。
 平成29・30年度事業で、南三陸町の施設の震災復旧事業がこれで最後となる。総工費が約
12億円で、復興交付金が6.7億円で地方債が2.5億円となった。その他にはシンガポール赤十字の寄付金が約4千万円と教育施設復旧補助金3.1億円が含まれている。
 南三陸産材(FSC)をふんだんに使い、ぬくもりあふれる複合施設で、全体プロジェクト認証の受賞も町長より伝えられ、町の本庁舎同様の認定を受けた。
 佐藤町長の挨拶では、東側に図書館施設があり今後蔵書は10万冊を目標にする。西側には公民館施設を配置し、「コミュニティーの再構築に寄与できる施設としたい。」と述べた。三浦議長は「共助の意識醸成に、多くの町民が集まり、やすらげる、くつろげる場に」と語った。

「KODOMOラムサール」南三陸町で開催
ラムサール祝賀会で集う

 2月8日南三陸プラザを会場に「志津川湾ラムサール条約湿地登録」の祝賀会が開催され、南三陸町・近隣市長・環境省・安住衆議員議員・県会議員を始めラムサールの国内関係団体・町内協力者など80名余りが集まった。また今回同時期にラムサール認定を受けた、東京都「葛西海浜公園」からも3名の関係者が出席した。
 概要説明では水産課の阿部拓三研究員が、志津川湾の湿地の特殊な環境を伝えた。町長の挨拶では、候補地として漁業に影響が無いかを調査した。決まった矢先に大震災が起った。環境省で2年余りの活動があり、復興のシンボルとしてラムサール条約に至った。活動として「教育交流」「環境保全」「ワイズコース」の3つを柱に、県内の他2つの登録地の市長さんと連携していきたいと語った。

2月9日の2日目の日程は、「南三陸の宝」を探す自然体験を歌津地区の館浜漁港に於いて、歌津漁協の協力を受け、岩場に群生するフノリやヒジキなどの海藻を採取し、志津川湾
の海の幸に触れた。
 2月10日は、ラムサール認定登録を受けた、志津川湾の恵の体験に戸倉地区のワカメ養殖の現況を見に、漁師の漁船に乗船し、豊かに実った海から引き上げた養殖ワカメに驚きの声をあげていた。
 戸倉地区では養殖施設を、震災後に3分の1に縮小し、養殖カキの生産でASCの国際認証を取得し、自然環境に配慮した漁場への変換に成功した。


南三陸ブランド 若布・カキ販売

 南三陸町歌津地区のハマーレ歌津で、1月27日日曜日に午前10時から「カキたら福まつり」が開催された。ハマーレ歌津商店街入り口から、殻カキ詰め放題のテントがあり1袋1,000円のコーナーは我先にとの行列ができ、大ぶりの殻カキを袋いっぱいに笑顔で詰める来場者で賑わった。300名限定で大盛りのカキ箱が並んでいた。
その他にもワカメ販売や、しゃぶしゃぶワカメを楽しんでいた。カキ焼のコーナーで
も、焼きたてのカキを待つ姿がみられた。志津川地区からの来場者の列ができていた。
3月に入りワカメ漁が今年は不漁で、高値がついている。南三陸町の生産ワカメの7割近くが歌津産となり、旬真っ盛りの今が食べ時、買い時です。週末はハマーレ歌津へ。

津波の標柱

 南三陸町志津川字本浜町の避難指定場所に、東日本大震災の津波標柱が立ちました。志津川上の山緑地は12m 位だろうか。津波は16.5m で、この標柱は津波到達点を示している。記憶の継承として、町内各所に建立する。10m 嵩上げの生業の場所と、上の山緑地の海抜は変わらなくなった。
 私の記憶には津波の襲来の風景は無い。津波後は地震発生ごとに地区民・家族で必ず逃げた事を思い出す。大震災の前年にも大がかりな避難が「上の山緑地避難所」で実施された。この時は自衛隊・中学生・町民が、炊き出し・救助訓練を大々的に行った。偶然かも知れないが次の年の23年3月11日に東日本大震災の津波が発生した。

平成30年度南三陸町成人式に136人が集う!

 今年の南三陸町の成人式は153人(志津川72名、戸倉17名、入谷20名、歌津44名)で、その中の9割にあたる136名がベイサイドアリーナに集合した。女性は色鮮やかな振り袖に身を包み、男性は凛々しい背広姿で、中には紋付羽織袴の姿もみられた。
 玄関の受付では、しばらくぶりの再会に喜び、互いにスマホで記念写真を撮り合う、賑やかな会場となった。
 午後1時30分からの開式は、今年の成人者が実行委員会を立ち上げ自分たちの記憶に残る式典とした。
 開式から町民憲章唱和では、新成人二人の朗読に続き全員で「海のように広い心で……大きな自然の手のひらで抱かれている町南三陸町」と唱和した。
 式辞では佐藤町長が「小学校6年生のもうすぐ卒業と言う時、大震災が発生した。日々を重ね自己研摩し、無限の力をいかんなく発揮していただきたい。」と語った。三浦議長は、20年間は耐える時代と語り「一人ひとりがそれぞれの使命を果たすべき事をしてきた」「ふるさとに誇りと愛着をもち、皆さん自身の手で、強くしなやかに新しい町を造ってほしい」と述べた。
 成人代表の「誓いの言葉」では、佐藤京香さんが「大震災で自然の驚異を知らされた。人と人のつながり、感謝する事を教えてくれた。」「20年間私たちを支えてくれた家族・地域・全国・全世界・町に貢献する事を誓います。」と力強く述べてくれた。
 成人の抱負では、歌津の畠山君が「輝かしい青春を過ごした仲間がいる。私たちが暮らしたこの町を、誇りに生きましょう。」と語り、戸倉の菅原さんは「復興を見ていると私自身も頑張らないとと思う。」と話し、歌津の及川君は「名足小で津波を見て裏山に逃げた。私は漁師になり町のために活動していく。」と述べた。
 記念講演では、「人生はああもこうも生きられる 〜好きなことが道しるべ」と題し、小島慶子さんが立ち、TBSでの15年のアナウンサー生活や10〜20代の摂食障害、30代で不安障害、40 代となり軽度の発達障害と診断された。現在はエッセイスト・タレントとして、2014 年から家族と生活拠点をオーストラリアに移し、日本への出稼ぎ生活だという。小島さんの歩んだ人生に出席者は耳を傾けていた。



三陸新報 戦後70年



千葉賢一作品集「遺稿集発刊に寄せて」



河北新報で千葉総合印刷取締役社長 千葉賢二郎 掲載される


お問合せ先

千葉総合印刷株式会社
TEL:0226−46−3069
FAX:0226−46−3068
〒986-0725
宮城県本吉郡南三陸町志津川字沼田150-84
お問合せメール>