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南三陸の出来事

自然環境活用センター復旧 子供たちの海の調査研究発表

 南三陸町の戸倉公民館2階に整備された、「自然環境活用センター」の復旧にあたり、100名を超える地域民・町関係者をはじめ、多くの報道関係者が集まった。
 開会にあたり佐藤町長はあいさつで、「震災から9年目、おかげ様で戸倉地区に完成した」。震災前まで横浜先生の元で、南三陸町の海の生物の研究や調査をおこなっていた。「地方自治体ではじめての電子顕微鏡も設置した」。多くの研究資料も流出した中で、異例の早さで復旧した事を伝えた。
 三浦議会議長は『「自然と共生する町」として、自然活用の研究は世界でも認められている。」「世界に向け発信していただきたい。」』と祝辞を述べた。
 引き続き、自然環境活用センター研究員の阿部拓三先生の「南三陸町の自然環境について」の説明をおこなった。「町営の海の活用とネイチャーセンター」として、800点の生物標本は津波により流出したものの、2012年から情報収集を始め、今では1000点を超える生活標本を集めている。海藻が220種、生物は600種となり、豊かな海である事を証明している。
 ラムサール認定には9つの項目があり、1つでもクリアすればラムサール認定を受けられるが、志津川湾においては5つをクリアしている。
 志津川湾には暖かい海のアラメ、寒い海のコンブが共生している。北からの親潮と南から
の黒潮、日本海側からの津軽海流の3つが南三陸に流れ込み、生物の多様性を生んでいる。今では、温暖化のせいか「イセイエビ」が獲れる様になったと話す。天然記念物のコクガンも100〜300羽が南三陸町に飛来する素晴らしい海辺の環境が整った町です。
 この後「南三陸町少年少女自然調査隊」の活動発表、「戸倉小学校6年生」の発表、「志津川高等学校自然科学部」が調査報告を行なった。


「戸倉小学校6年生発表から」

 現在は52人が学ぶ戸倉小は、「元気な声であいさつをする事」を学校の目標にかかげています、と今を伝えた。震災前の映像では「以前の校舎からは海が見えたそうです。」と紹介してくれた。
 私たちは平成26年の入学で、志津川小学校で勉強していました。震災後に戸倉松原の前の海辺で「あさり採りをし、いっぱいのあさりが採れた。水門や防潮堤が壊れていても、海の豊かさにビックリした。」「海がもどってきていると思った。」と話す。カレーの稚魚の放流では、「大きくなれ、ガンバレ!」と赤ちゃんカレーを送り出した。
 最後に、学び・考えた事として、平成27 年にはまだ新しい防潮堤はなかった。2019年の5年生のサケの放流の海での活動で「大切な海を守ること」「命を守るためには防潮堤が必要。」と語った。「これからも豊かな海を守っていきたい。これからも勉強していきたい」と発表を締めた。
 基調講演では、青森県むつ市海と森あふれる体験館の五十嵐館長が「陸奥湾を探り、世界を知る 〜化学する心を育み歩む〜」と題しておこなった。来場者からの質疑応答も行った。

喜寿(77才)の166人が仲間入り

 9月24日〜26日の3日間において、南三陸ホテル観洋を会場に令和元年度敬老会が、賑やかに開催されました。
 24日は戸倉地区の257人と入谷地区の416人の合同で、25日に歌津地区の759人、26日
は志津川地区の1028人、合計で2466人が敬老の祝いを迎えた。男性が902人と女性が558人で、女性の平均年齢が世界一高齢化を持続している。(年齢は令和元年度現在で、人数は令和元年8月1日現在の住民台帳によるもの。)
 志津川地区の敬老会開会の初めに、佐藤町長が挨拶を述べ、志津川地区で敬老会の仲間入りの喜寿の方々は「166人」であり、1028人のうち「319名」が出席した。日本の平均寿命は、男性81.25才・女性87.32才であり、100才以上が約7万人を超えた。祝いの挨拶では「幸せな毎日を送っていただきたい」「子育て、地域づくりに尽力され、大正・昭和・平成と平和と豊かさがあるのは皆様方のおかげ」「お互いの近況を語りながら、ゆっくりくつろいで下さい。」と話した。
 記念品贈呈では、志津川地区代表は高齢者の仲間入りした73人を代表して、西ケ丘地区の阿部さんが77才の「祝詞」を受けた。他の地区では戸倉地区19人、入谷地区29人、歌津104人となった。
 三浦議長は「精神力と忍耐力を後世に伝えてくれた」「一人暮らし公営交通、福祉施策の中で、公共交通の利便性など課題解決に取り組んでいる。」「経験と技能を我々に指導いただきたい」「笑顔のたえない日々が末永く続くことを祈念します。」と祝いの言葉を送った。
 最高齢は志津川地区の女性で102才となる。100才以上は14名を数える。
 お祝いの宴では、南三陸大正琴の会8名や趣味で活動する踊りの会の皆様、カラオケ自慢の方々が敬老会の祝いの席に華を添えてくれた。

 志津川グランドゴルフ協会  南三陸町体育協会新規加盟へ

 7月17日(水)生涯学習センターに於いて、令和元年南三陸町体育協会表彰式並びに総会が開催された。今回表彰となった方々、加盟団体、新教育長を含む事務局など30名余りが集まった。
 協会表彰式では、体育功労彰に野球協会の佐藤博行氏、井上誠氏、卓球協会の山内広氏が長年の協会の活動への貢献と尽力に対し表彰された。体育勲功章の個人には、空手道連盟の伊勢まどかさんと陸上競技協会から三浦真衣佳さんと千葉星那君の3人が表彰され、団体では綱引連盟のチーム南三陸が表彰された。
 総会にあたり高橋長泰会長が、「震災もおちつき、スポーツで発信ができるようになった」と挨拶し、齊藤新教育長の祝いの言葉では、「若者の育成と体育振興に努力された」「日々の努力の結晶だと思います」「健康で長生きでありますように、ご祈念します」と結んだ。
 総会議案3号に、南三陸町志津川グランドゴルフ協会の新規加盟の申請があり承認された。また、議案4号では役員の一部改正が審議され、高橋長泰氏(弓道協会)の退任により、新会長に阿部和夫氏(野球協会)と副会長に山内義申氏(サッカー協会)が任命された。

南三陸町の中世を学ぶ

 「南三陸の山城と石塔」を刊行された、中世考古学者の田中則和氏(前宮城県考古学会会長)を迎え、全8回にわたる連続講座が開催されている。
 第1回(2/15)「南三陸の山城と石塔」一研究者による最新の見解と題され開催された。第3回(4/19)女川・雄勝編の会場はマチドマに於いて、約30名が視聴した。第5回(6/21)志津川編は、生涯学習センターを会場に約60名を超える町民の皆様が、新井田館の発掘された跡地に整備された中央団地の場所で、戦国に生れた人々の歴史ロマンに想いを馳せた。
 志津川地区の板碑と朝日館は平安時代のかまどや土器が発掘され、たて穴住居も見つかり、近くには「おだまや遺跡」の石塔がある。土壌は砂っぽく600年に1回の津波があった跡が残り、現在大津波が「千年に一度」と言われる事につながる。
 細浦館は、海の方を向いて建っていた。その場所は細浦「徳性寺」であり、門の脇には板碑があり、その板碑には「お釈迦様が修行した」と書いてあると話す。
 大雄寺の板碑は2枚あり、「千人仏の板碑」が近くの信倉地区で発見されている。1363年2月江戸時代に仙台藩が志津川村で、金堀りの人々が事故で数百人亡くなり、千人塚として建立した。
 新井田館遺跡は、東日本大震災の高台移転の場所として、遺跡の調査が2015年に始まり、7月には山城跡が削られる直前に陶器、石鉢、古銭、柱穴が発掘され、調査終了後の11 月23日に町内外から318名の方々が跡地を訪れ熱心に説明を聴いた。
 調査の結果、平場6カ所、堀6条、土塁8条が見つかり、山城には8m幅で、深さ3mの堀があり敵から城を守った。15世紀前半ごろに築城され、17世紀には既に使われていなかった。
 戦国期に朝日館の城主は本吉四郎高衡の家来志津見五郎の城と伝わっている。東北地方の要と思われる。新井田館の大きさを比べても、朝日館は約20倍も大きい。

主催は南三陸研究会/ みなと工舎で、予定する全8回に参加された方には「修了証」を贈呈する。今後第7回目は8月16日の「歌津編」、第8回目は9月20日で「南三陸の歴史と文化遺産」について、生涯学習センター(中央団地向かい)において、田中先生の貴重な講話を予定している。

南三陸町復興土俵入り 6月4日(火) 総合体育館

 東日本大震災が発生した年の6月に、まだガレキ撤去の進まない中を、横綱白鵬関が来町した。被災した南三陸町の志津川中に一行が来町し、その後も多くの力士が炊き出しに訪れ町民を励ました。
 そして今回で2回目の来町を果した。日本相撲協会の挨拶では、「寄り添いながら未来へ進みましょう」と話した。町長の言葉では、震災後2回目の来町で「勇気と希望を届けてくれた」「目と心に焼き付けて欲しい」と語った。第71代横綱鶴竜関は、「心を込めて土俵入りをします」と挨拶した。また、荒磯親方(元横綱稀勢の里)は、引退記念の色紙を町に贈った。
 会場には町民や町外からも多くの相撲ファン1500人が集まった。体育館はもとより、2階席も半分が観客で埋まった。化粧まわしで現れた時には「鶴竜!」と町民から声が飛び、四股を踏む時などは国技館さながらに「よいしょー!」の掛声が飛び交った。
 その他にも「呼び出し太鼓」や「相撲甚句」が付き添い力士から披露され、付き人力士の歌もあり、大相撲の儀式を味わった。一行には芝田山親方(元横綱大乃国)も同行し、横綱として大相撲を沸かせた顔ぶれに、観客も満足した。土俵入りの最後は横綱の握手会で、多くの町民の笑顔が溢れていた。終了後も、あさひ幼稚園向かいの志津川消防署の殉職消防士の慰霊碑に手を合わせた。
 一行は帰りにさんさん商店街に立ち寄り、防災庁舎に向かい献花をし手を合わせた。商店街の来客にも記念写真やサインに応えていた。また「ホヤ大好き」と言う荒磯親方は、ホヤの刺身5個をペロリとたいらげ、私に出来る復興の活動は今後もしていきたいとも話す。こんなに美味しいホヤを全国の人にも食べて欲しい」とアピールしてくれた。

ピカピカ・ドキドキの23名の入学式

 4月8日志津川小学校の平成31年度入学式が開催され、23人(男10人・女13人)の元気
な新一年生が入学し、初めての行事にのぞんだ。震災の2年目に生れた児童にあたる。
 今年度就任した工藤吉則校長のあいさつでは、「入学おめでとうございます」と新入生に語りかけた。そして「ありがとうございます」と新入生と一緒に感謝の言葉を父母に送った。新入生への「3つのお願い」では、1.あいさつや返事をしっかりしましょう。2.自分の事は自分でしましょう。3.友だちとなかよく勉強したり遊んだりしましょう。と伝えた。早く学校になれるように、「がんばって下さいネ。」と話した。
 祝辞は、町長の代読で最知副町長が立ち「心まちにしていた入学、ピカピカの一年生、少しドキドキしていませんか」と語りかけた。入学生へのお願いでは㈰先生の話をよくきく事。㈪学校のきまりを守る事。㈫友だちと仲良くすることと伝えた。ご父母には「南三陸町、この国の宝です。大切に育てていただきたい」と締めくくった。
 歓迎の言葉では、在校生を代表して高橋さんが「志津川小学校はとても楽しい学校です。運動会や学芸会を楽しみにしてください。」と話した。

各スポ少団員が目標を語る 南三陸町スポ少結団式

 4月11日午後7時より南三陸町スポーツ少年団の決団式が、総合体育館(アリーナ)で開催された。会場には12のスポ少・教室の団員が約200名を超え、指導者・教育委員会・父母が集まり、今年度の活動へのスタートを切った。
 副本部長の挨拶では、「子供たち・父兄・先生方は三身一体である」と述べ、新齊藤教育長の「激励のことば」では、「自分の大好きなスポーツで運動能力を高める事が素晴らしい結果を生む」と話した。
 子供たちの今年の抱負では、「感謝の気持ちで昨年より一勝でも多く勝ちたい」「6年生なので5年間の練習の成果を出し、町の大会で勝ちたい」など、12団体の代表が力強く目標を語った。

志津川高校生議会開催

 町議会議場で、本番さながらに高校生の町づくりの提案がなされ、議論が交わされた。教育では「交流留学」、産業では「町の産業を生かしたブランド化」など、色々なジャンルに分け、町長・副町長・教育長ほか担当課長らが本議会同様に提案・説明を聴き、真剣に質疑応答を行なった。議場は多くのメディアと傍聴人で席はいっぱいとなった。
 現在、南三陸町の被災地にある「志津川高校」は、生徒数の減少の中で、志高生が厳しい環境の南三陸町の町づくりを考えた。

初めての大本山知恩寺布教師団の海上読経

 震災後に歌津地区に入りボランティア活動をしてくれた、東京都の慶松さんの縁で、今回は大本山知恩寺布教師会を中心に、浄土宗・曹洞宗の僧侶16名と、現役力士の豊ノ島ら3人も一緒に手を合わせに、歌津地区の牧野さんが整備した「鎮魂の森」を訪れた。
 2月18日の午前中は稲淵漁港から出船し、海上で犠牲者の御霊に僧侶が読経を唱えた。午後1時からの「供養会」は、海上法要に時間がかかり、2時近くとなったものの、鎮魂の森での地区民の再会は、しばらくぶりの井戸端会議となり、色々な近況報告で笑いが起こっていた(東屋にて)。
 青空の下に京都「知恩寺」をはじめとする僧侶の皆さんの読経が、歌津市街地から歌津湾へと広がって行く。地区民は読経に手を合わせ、静かに慰霊碑の前で家族・住民の死を噛みしめ、9年目を来月に迎えるに当たり、また一つの節目を迎えた。ボランティア団体の御世話で、京都からの方丈様たち16人と、東京からの3人の力士が法要に立ち会った。知恩寺の神田真晃会長の挨拶に、「生ある物はいつかは死を迎える。そして、またあの世で会える」と、仏教の教えの一片を話してくれた。
 供養会の終了後に参列してくれた100名の皆さんに、布教師会と力士の方々から、餅が振る舞われた。別れの時には、3人の力士と握手をしたり、だき合って、地区の皆さんを力付け、悲しい想いと気持を分け合った。
 鎮魂の森の観音様の台座に、旧歌津町の伊里前市街地の姿が掲示されていた。懐かしい多くの人達がここで暮していた。あの伊里前商店街の「しろうお祭り」の賑わいを思い出し、昔の思い出が募るばかりだ。

三陸道歌津北インター開通 2月 16日

 南三陸町歌津港地区に「三陸道歌津北IC」が開通した。仙北の本吉地区に30年かかりここまで来た。あと2年で気仙沼市までが完成する。車社会が益々加速する。高齢化の進む被災地の復興に、交通の利便性など多くの恩恵が生まれる。
 午前11時からの三陸道開通式典には気仙沼市・南三陸町の行政関係者・議員、ハイウエイ
女性の会、国土交通大臣・前小野寺防衛大臣・元桜井副財務大臣を始め、国会議員・県会議員・建設関係者など、「三陸道開通」にご尽力された方々や歌津・小泉地区の地権者を含む、300名を遥かに超える人々が集まった。「南三陸町関係の三陸道の開通式出席は、これで総て終わった。」と、佐藤南三陸町町長が語り、ここまでの国・県・工事関係者・地域住民の皆様に感謝を述べた。
 菅原気仙沼市長の式辞では、震災復興の三陸道の意味と、あと2〜3年すると気仙沼市の三陸道も全て開通し新たな局面に向かい喜びと不安もあると、これからの気仙沼の状況がどうなるかを述べた。小野寺氏は三陸道計画からの歩みを話し、桜井氏は仙台が近くなり、三陸道の今後の役割は大きいと語った。
 三陸道の歌津北インターが午後3時に開通し、北へ北へと延伸する車の列が続いた。観光客の立ち寄りの場としての、町の期待は大きい。

第2回東北被災地 語り部フォーラム2019

 2月24・25日の二日間、「あの日から10年・100年・1000年先の未来へみんなが語り部」
と題され、全国から語り部の皆さんが集まった。
 24日の第1部では、震災を風化させないための語り部バスが運行され、南三陸町内と高野会館内部を案内した。
 第2部では、フォーラム開催にあたりセレモニーがおこなわれ、南三陸ホテル観洋の副社長阿部隆二郎氏が語り部フォーラムのこれまでの歩みを話し、挨拶とした。
 引き続きパネルディスカッションに入った。
 神戸で当時消防士だった野村さんは、退職後に語り部となり「阪神淡路大震災」を今も語り続けていて、震災発災時の行動と心構え、そして語り継ぐ事で多くの人の命が救われると話す。三陸鉄道の二橋さんは、三陸鉄道の再建に努力し、震災からの地域の脱出と、元気・勇気へと繋がったという。「是非岩手の三陸鉄道に乗って下さい。」とアピールした。南三陸町戸倉の後藤さんは、震災後の現実と今を語った。震災後にワカメのいかだが再建され、それが私たちの力となった。しかし、今年はアワビ・サケの不漁が続き、名産のタコは小さく、大きくは育たないと海の異変を伝えた。フォーラム開催は、活性化となるとも話した。南三陸町の入谷出身の山内さんは、子供たちが伝承している「水戸辺鹿子躍り」のことを話した。地域に伝わる子供たちの伝承は、地域でこれまでに発生した災害の「供養の舞」
と話した。
 最後に2018年12月8日開催の第4回全国被災地語り部国際シンポジュームin 熊本での開催報告を山地さんがおこなった。
 南三陸町の当時4歳で現在12歳となった小学生の発表では、「私たちは震災を語り継いでいきます」と、自分たちの震災体験を発表し誓った。
 第3部では、3つの分科会が開催され、第4部に「分科会総括報告」、第5部「レセプション(交流会)」、第6部「語り部座会」でフリートークがおこなわれた。

南三陸町では来年10月から 家庭ごみの有料化を見込む

 10月4日(木)午後7時から、沼田ふれあいセンターで家庭ごみ有料化住民説明会を開催した。南三陸町環境対策課では、町内52地区で1271名の住民が集まり、出席率は26.7%だと話した。
 震災以後のごみの発生は、復興・再建などの要因から増加傾向にあり、ごみ処理費用が年々増加している。また、平成27年10月から実施している生ごみ収集量は、見込んだ計画量の4分の1にとどまっている。
 町はごみの減少化やリサイクルの推進に取り組んでいるが、ごみの抑制の効果は見えない。しかし、資源ごみとして800トンで1350万円の売り払い額を得ている。
 家庭ごみの有料化の導入は、ごみ発生の抑制や処理経費の削減など、町民にごみの減量に対する意識の向上を図ることを目的としている。


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千葉賢一作品集「遺稿集発刊に寄せて」



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