南三陸町志津川マイタウン誌「千葉総合印刷」 南三陸町マイタウン情報「志津川広報センター」

南三陸マイタウン情報

「震災の年の入学生卒業」力強く逞しく三年間を過ごし未来へ

 宮城県志津川高等学校の平成25年度「卒業証書授与式」が3月1日開催され、卒業生1 3 1名が被災地の混乱の3年間をを無事に過ごし巣立った。
 情報ビジネス科第16回生26名を代表し、佐藤光揮君が代表して「第585号」の証書番号で、佐藤校長から「おめでとう」の言葉を送られ授与された。
 普通科第66回生は、2組33名を代表し阿部想君が「第8928号」を、3組34名の代表は佐藤純君が「第8975号」、4組38名の代表は及川友太君が「第9002号」として、長い歴代の卒業生に名を連ねた。
 佐藤充幸校長の式辞では、「この三年間語りつくせない苦労があった。」と被災の年に入学し、多くの混乱の中で高校生活を思い起こす。半月遅れの入学式、2校への分離授業となり、8月になって本校に戻ってきた。「不安と戸惑いの連続だった。」と。中学生から高校生になったばかりで、「多くの支援に感謝の意を忘れないでほしい」と述べ全国・世界そして地域の住民のみなさんの応援があったことを、卒業後も胸に抱いてと話した。
 社会・大学に巣立つ生徒に、「小さな壁大きな壁も安易に逃げたりしないで、粘り強く初志貫徹してほしい」「未来に貢献する事、自分のためだけでなく、他人のために額に汗して下さい」と話し、「人の一生は重きを背負って・・・行くがごとし急ぐべからず」「不自由を常と思えば不足なし心に重き望みおこらば困窮な時を思い起こすべし」と二つのことわざを、はなむけの言葉として送った。
 佐藤町長は、3年が過ぎても校庭には仮設が建っている。「全国全世界からの心温まるご支援、温かい声援に感謝の心を再確認させられた」、そして「大いに飛躍する事を期待します」と祝辞を述べた。
 送辞には大坂君が「後輩の目標だった」と、行事の中でのクラスの結団「震災の年の入学生卒業」力強く逞しく三年間を過ごし未来へ力を話した。「尊敬する先輩たちがいたから充実した学校生活を送れた」と言う。「志津川高校の伝統を引き継ぐ」と力強く語った。
 答辞では及川友太君が、2011年3月11日震災の年、3年前の入学だったと振り返る。「津波の被害で、心にキズを負った人、不安な気持ちを持った人がいた」、「この3年間がかけがえのない時間だった」と言う。「あたり前の事がかけがえのない時間だった」「何よりも友達が大切だった」と学校生活があった事、「私を支えてくれた先生」「18年間私たちを支えてくれた家族」に「これからも見守って」と話し、「これからはほこりを胸に、努力し夢や希望に向かって行きます」と。最後に「志津川高校生活は何にも変えられない財産」と結んでくれた。
 保護者代表謝辞では、3学年委員長の佐藤信一さんが、「復興への3年間」だったと話した。明日の見えない希望の日々と被災後の生活を過ごし、自分を見つめ、友だちを思い、励まし合い、社会人としての礎(いしずえ)を築いた。オリンピックで体操銅メダリストの亀山選手のメッセージとして、「世界を見つめ、世界に羽ばたいて欲しい」の言葉を伝えた。
 阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件と、歴史に残る激動の年に生まれた卒業生、「支えられ、支え合い、必死に生きた3年間」、先生方への感謝の気持ちでいっぱいですと、涙ながらに話してくれた。また、今年は「創立90周年」にあたる事を伝えた。

2014/3/1(3/25掲載)

入谷地区に新しく老人ホーム誕生へ 介護職20名募集

 津波避難所に指定されていた、旧志津川中学校跡地(廻館)に「福祉の里」があった。町社会福祉協議会では、デイサービスセンターとのぞみ作業所を運営していた。その隣に「特別養護老人ホーム慈恵園(じけいえん)」があり、3.11の東日本大震災で被災した。そして4年を迎える今年、6月の工事完了、7月の入居予定で開園を進めている。
 施設内容は、長期入所、短期入所の合計で70名を予定している。開園に合せ介護職20名を募集している。
 現在は入谷山の神平で「福祉仮設」を、町から受託し運営を続けている。今後進む高齢化に伴う、高齢者の受け皿として、地域住民の生活支援として、福祉環境整備に貢献していく。
 (新設場所 入谷小学校裏童子下地内)

2014/3/25掲載

荒砥地区で震災3年追悼式

東日本大震災追悼供養会

東日本大震災追悼供養会

 平成26年3月4日、東日本大震災からまもなく3年目を迎えようとしているこの日、島根県山陰地区浄土真宗本願宗派西本願寺の45歳までの団体「楽法会」が、縁があり繋がった荒砥地区おいて、若手僧侶11名が来町しての「東日本大震災追悼供養会」を荒砥センターで開催した。
 震災直後から荒砥地区に入り、復旧活動支援・物資支援などを続けながら地域民との交流を行っており、3年目を迎える節目にと追悼供養会を行った。団体会長は「遠藤水華里さんを通してこの地区とのご縁ができた」と挨拶で述べた。島根県と宮城県荒砥との被災者支援の交流は、島根の浄土真宗会派での被災地の報告会や被災者への心の支援まで、被災地の苦しみを癒す活動を幾度となく来町し行った。交流は今後も続けていきたいと話す。

荒砥地区

荒砥地区

 地域の高台のお寺隣りにあるセンターながら、こんな高さまで津波は押し寄せ、センターのガラスドアは今もベニア板で補修されたままになっている。危険区域でありセンターも移転すると区長は話していた。見下ろす荒砥地区では30軒が津波被害を受け更地となり、高台の造成は6戸で夏頃には土地の確保がされ、住宅再建がされる予定だ。
 9時からの法要会では、浄土真宗の読経が11人の僧侶の方々によりセンターに響き亘り、参加した人は手を合わせて亡くなられた方々を忍んでいた。
 町の追悼式は11日の2時30分から、総合体育館で開催される。

2014/3/4(3/7掲載)

南三陸町の子供達 ピアノコンクールで大活躍

仙北地区ピアノコンクール

仙北地区ピアノコンクール

 平成26年2月11日。登米市水の里ホールにて第46回「仙北地区ピアノコンクール」が開催された。
 大会には登米市を中心に、石巻・大崎・南三陸から多くの幼小中のピアノが大好きな子供達が集まった。プログラムの発表予定では130名を超える参加者であったが、100名と言う発表があり大雪の中を集まった。
 そんな新春発表会に南三陸町からも、戸小・入小・志津川小・戸中の名前がプログラムに載っていた、5割ぐらいが我が町からの参加を占めていた。E~Aまでの入賞者には、D級で入谷小の三浦さんが最優秀となり、B級でも戸中の佐々木さんが最優秀を取り、大会の特別賞も受賞しました。南三陸町のピアノのレベルの高さに驚きました。
 「遠藤ピアノ教室」は震災で五日町にあった教室や楽器の全てを流失したが、子供たちの「先生に教えてもらいたい」という気持ちに応え、自宅を改装して無償で子供たちにピアノを指導している。今回、被災しながらも頑張っている子供達を取材してくださいと依頼され、子供たちの活躍を見届けた。7人の参加で大部分が各クラスの賞に入った。

入賞した子供たち

遠藤先生と入賞した子供たち

 B級では佐々木暁美さん(戸中1年)が最優秀賞と「蛯名賞」の特別賞に輝いた。D級では佐々木俊くん(戸小4年)が優秀賞に、小野詞誉くん(戸小4年)も賞を獲得し、生徒全員が大活躍をした。見守る家族の気持ちも発表までドキドキだった事と思う。
 写真は入賞した子供達だが、半分以上が南三陸町の子供達だった。子供たちの個人の活躍を南三陸町の仮設で暮らす町民の人達に、「子供たちが被災しても頑張っている姿を届けたい」と遠藤先生は言う。発表の週の大雪も津山の仮設から、多くの時間を掛けて教室まで通い、コンクールでの高成績に結び付いた。

2014/2/11(3/7掲載)